私はある経済の論客さんがいいなと思って見ていたことがあるのですが,ある程度無名だった頃は,非常に「バランス感覚」があって,「経済成長は大事だけど,そこに人々のナマの喜びが含まれているような形じゃないといずれ破綻するし,その成長は長続きしない」という論調だったんですよね。
しかし,その論客さんがある程度有名になるにつれて,そういう「バランスの取れた適温の話」では埋もれてしまうので,どんどん「極端な話」に吸い寄せられていってしまったんですよ。それはもう見ていて「なんでこうなるんだろうなー」というような悲しい体験でした。
結局その人が言うことは,どんどん「経済成長なんていらねえ」的な方向になり,いろいろな「現行の経済に対して前向きな動き」に対して片っ端から非難するみたいなことになってしまったんですね。
そして,悲しいことは,そうやって過激化すると,とりあえず読者が付くということです。そして,その読者を引き連れて,世の中全体をどんどん「二つの極のどちらか」に引っ張っていってしまうんです。
倉本圭造 (2014). 「アメリカの時代」の終焉に生まれ変わる日本 幻冬舎 pp.70-71
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