閉経を適応として説明する有力な仮説は「祖母説」(grandmother hypothesis)と呼ばれている。この仮説によれば,女性にとって重大な生涯の駆け引きが閉経の背景にある。それは,自分で繁殖を続けるのか,それとも祖母として,すでに生まれてきたこの繁殖の手助けをするか,という駆け引きである。もう一度出産の負担とリスクを自分で負うか,それとも,余生のエネルギーを娘や息子とともに孫を育てることに向けるか。理論的には,第一子を出産した以降にいつでも発動しうる駆け引きである。
すでに子供を一人育てている母親は,次の課題に直面する——もし,子をもう一人産んだ場合,その子を一人前に育てるまでに生き延びることができるであろうか。子供の成長期間が長いヒトにとっては特に切実な課題といえる。ヒトの生涯においては,悲しいかな,親子が共倒れになりうる期間が長いのである。
次の子を出産するべきか。若いお母さんにとって答えは簡単かもしれない。次の子を出産してから,その子が一人前になるまで自分が生存する確率はかなり高いと予測できる。子供が少ない母親も,繁殖を続けることにより子孫を増やせるであろう。しかし,すでに数人の子供を一人前に育てている母親にとって,駆け引きの計算はかなり変わってくる。ヒトは,食物の配分など,世代間で助け合う方法を多く持つ。また,いつの時代においても,親がいかなる年齢であっても,子育てには大変な労力が必要であることは,現在のお母様方もうなずけるのではないか。さらに,ヒトの女性にとって,出産それ自体がかなり危険をともなう。歴史的に,難産による死亡は女性の主要な死因の一つであった。医療が発達している現在においても女性は難産を恐れる。そして,出産と子育ての負担は歳とともに重く感じられるであろう。
ヒトの進化の途上,閉経が進化した状況を想像すると,以下のようなシナリオになるのではないか。ヒトの寿命の延長とともに,繁殖期間もそれに伴って高齢の方向に進化していった可能性があったと考えられる。女性にとってはかなりの高齢出産も珍しくなかったはずであった。ところが,ある年齢に達した女性が,末っ子が一人前に育つ前に自分がなくなってしまう確率がやや高くなっているとしよう。その年齢で,もはや次の子の出産はあきらめた母親がいたとする。その母親は生存の確率をやや高める,と同時に時間とエネルギーを生活の違う方向に向けることが可能になる。大家族で生活していれば,家族の生業に貢献し続けるであろうし,孫の面倒も多少は見てやれる。この駆け引きの結果から生じた結論が約50歳の閉経,と考えるのが「祖母説」である。
D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.161-162
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