まず,一つ指摘できる現象は,子供の完全コスト化ではないか。受験戦争が激しくなるなか,子供達は勉強に専念するようになり,家事の手伝いもままならない。ごく最近まで,日本の子供達も家業のお手伝いをさせようと思えば可能であった。農家であれば田植えに参加したかもしれない。都会の子も,お店のお留守番ぐらいはできたであろう。多くの子は手伝ううちに家業を継いだかもしれない。職人への道を選んだ子は若くして弟子入りした。しかし,学校に通う子は家業のお手伝いをしなくなる。
また,現在の産業システムでは職場と家庭の分離が発生してしまっている。多くの家族は,家業を手伝えるような職業をもたない。普通のサラリーマンの子はお手伝いとして親の会社でアルバイトをすることは考えられない。さらに,家庭内でも家計の分離が発展している。家族の一人一人はみな自分の独立した家計簿をもつようになってきた。アルバイトをしている子は収入を母親に丸ごと渡すであろうか。実際に家計簿をつけているかは別にして,子供達は自分のお金や所有物を一家のなかで区別するようになった。結果として,子供は一家の家計の足しになるような活動はほとんどしなくなった家庭が多い。しかも,親の家計にとって,子の収支はその子の成長とともに減るどころか,教育費のために増額していく。日本の学生の何パーセントがアルバイトで得た収入を学費に充てるであろうか。何割かの学生は自分の学費と生活費を稼ぎながら大学に通っているかもしれないが,いまとなっては大学生人口のなかでは少ないであろう。現代の子供たちは完全コスト化し,子育ての高コスト化に拍車をかけているのではないか。
高学歴の追求とともに,発生しているもう一つの現象が,ますます高くなっていく生活収支がプラスに転換する年齢ではないか。大学を卒業してから就職する,典型的なサラリーマンコースでは,経済的な自立は早くても22歳を過ぎてからになる。それまでは親にとって大学生の子供は完全コストであり,しかも大学生の時期が最も負担が重くなる時期でもある。医学部からの卒業は早くても24歳。浪人したり,大学院や法科専門学校に進学すると,経済的な自立はますます遅れてしまう。
教育が終了すると就職によって生活収支はプラスに転じるはずである。ようやく大学を卒業した子が就職すると,家族の経済収支はどうなるか。家計の分離が起こっている場合,親と子の家計を別々に検討する必要がある。就職した本人の家計簿はプラスに見えるであろう。親の家計簿のうえではどうか。子供が実家に住み続ける場合を考えよう。もし,その子が給料を母親に渡して,家計を親と一にすれば,子の経済収支が就職によってプラスに転じた,とうう計算ができる。しかし,その同じ子が自分の給料は自分のものと考えていれば,親の家計簿のうえではその子の経済収支はマイナスのままである。
本人の家計と親の家計を区別して考えてみたが,さらに,社会全体にとっての個人の負担も別に検討しなければならない。たとえば,親の払う学費だけで教育は成り立っていない。多くの公的な支援によって学校は成り立っている。子供のコストは親の家計簿に反映されているより,またさらに多くの費用がかかっている。ある推計によると,親はマクロの子育てコストの約54パーセントのみを負担している。
同じことが,経済的に自立しているかのように見える若者の多くについても,言えるのではないか。親に負担をかけずに,奨学金や授業料免除をもらっている学生の場合は,あきらかに社会に支えられることにより勉強が続けられる。就職した若者はどうか。就職によって若者が教育機関を卒業し,生産年齢にようやく到達した,と単純に考えるわけにもいかない業種も多いはずである。
D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.175-177
PR