「思想は言葉のように個々の単語から成り立っているのではない。もし私が,私は今日青いジャンパーを着た男の子が裸足で通りを走っていくのを見た,という思想を伝えたいと思うとき,私は,男の子,ジャンパー,ジャンパーが青であること,男の子は裸足であること,その子は走っていることを,個々別々に見ているわけではない。私は,この全てを思想の不可分な一幕として,同時に見ているのである。しかし,私は,言葉の上ではこれを個々の単語に分解する。思想は常に全体的な,個々の単語をはるかに越えた広がりと容量を持つものなのである。雄弁家は,しばしばひとつの思想を数分間にわたって展開する。この思想は,彼の頭の中では全体として保持されているのであり,決して言葉が展開されるように逐次的に,個々の単位ごとに生ずるのではない。思想の中では同時的に存在しているものが,言葉の中では継時的に展開される。思想は,単語の雨を降らせる雨雲に喩えることができるだろう」(ヴィゴーツキー, 1934)
中村和夫 (2004). ヴィゴーツキー心理学完全読本 新読書社 p.38
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