文京区本郷の東京大学は,ほぼそっくりそのまま加賀前田家の大名屋敷に立つ。前田家は百万石だから屋敷も広かったのだろうが,新宿御苑は信州高遠内藤家3万3千石の屋敷跡で,3万石でもたいしたものだ。
ひと口に三百諸侯と呼ばれる大名は,江戸に上・中・下の三つの屋敷をおいていた。さらに,抱え屋敷という別邸を持つ大名もいたため,江戸のまちは大名屋敷だらけになった。大名屋敷には,池のある大きな庭があった。つまり,大名屋敷だらけの江戸のまちは,庭園だらけのまちでもあった。大阪や横浜などと比べ,東京の中心部に緑が多いのは,この遺産にほかならない。
明治維新後,広い敷地面積を持った大名屋敷は官庁街や民間のビル,住宅などに姿を変え,東京の発展を支えた。大学や公園として使われたものも東京大学や新宿御苑だけでなく,枚挙に暇がない。
大名屋敷は官や軍の用地に使われたり,大きな施設ができるなど,まとまった土地利用がなされていた場合,都市改造の格好のネタ地にもなった。
代表例は,長州毛利家の屋敷から陸軍用地,防衛庁・自衛隊用地を経て,今の姿に至った六本木の東京ミッドタウンだろう。同じ六本木の六本木ヒルズは,周辺の密集市街地を含めた再開発だが,中心のテレビ朝日は,元をたどれば長府毛利家の屋敷跡。だから六本木ヒルズには毛利庭園がある。
きりがないので詳しい話は省くが,赤坂サカスも,汐留シオサイトも大名屋敷の跡。港区に富の集中が進んだ背景として,都心での生活に適合すべく高い機能を備えたこれらの施設が果たした役割は大きい。とするなら,今日の港区の繁栄は,江戸から続くハードの集積の上に立っていることになる。
池田利道 (2015). 23区格差 中央公論新社 pp.258-259
PR