企業が行う採用活動は,当たり前だが慈善活動や,教育を施す場ではない。また通常のサービスを提供する場でもない。だから全員に平等に何もかもが与えられる場ではない。だから全員に平等に何もかもが与えられる場ではない。説明会に申し込んでも,大学名で選別され参加できないこともある。面接の時にはニコニコ笑って話してくれても,理由も教えられずばっさり不採用になることもある。今までの教育の場であれば,機会は平等に与えられた。忘れ物事務局が準備してくれ,申し込みを忘れれば,学校が声をかけてくれ,欠席が続くと叱ってくれたりした。
しかし就職活動は「社会の一部」であり,社会の当たり前のルールがいきなり予告もなくて起用されるのである。これを知らずにいると,とんでもないことになる。大学生が希少な存在であり,企業に余裕のある昔とは違う。ここについてもはっきりと学生に現実を教える人がいない。
企業の人事担当者と話をしていると,ここ最近の就職活動の「イタさ」が話題になることが多い。これは昔からある「最近の若者は」という話ではない。明らかに自分の言葉ではない概念語を,しかも用法を間違って使いながら,壊れたテープレコーダーの再生ボタンを押したように,訳のわからないことを一方的に話し続ける学生のことを指している。ことに大学での就職支援が取り上げられるようになってから顕著だ。
しかしこの「イタさ」を企業が学生や大学に伝えることはない。義務もなければ,伝えたところで無用な誤解や批判を受けるであろうし,きちんと理解されるように説明するとなると,膨大な時間とコストをかけなければならないからだ。
太田芳徳 (2013). リクルートを辞めたから話せる,本当の「就活」の話:無名大学から大手企業へ PHP研究所 pp.6-7
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