最近の子供たちは,有名になることに何より憧れているようである。野球やサッカーの選手になりたいとか,パイロットになりたいとかいうのではなく,何であれ有名になりたいのだ。なんという奇妙な夢だろうか。
科学をやりたい,というのではなく,ノーベル賞の田中さんみたいに有名になりたいというのだから。
そんな不思議な憧れが生まれるのも,人間を勝ち組と負け組とに分けているからである。私の職業に近いところで最近目につくのが,小説家になりたい人の増加である。これは非常に不思議な現象である。
なぜなら,近年本があまり読まれなくなり,つまりあまり売れなくて,出版社は軒並み青息吐息なのである。もちろん,小説も売れず,そう読まれていないわけだ。
そのように読まれていない小説を,書きたいと思う人が増えているのはどういうことか。
新人賞などへの応募作品数(つまり応募者)がやけに増加しているのだそうだ。
そして,そういう賞の募集情報を一冊にまとめた,公募のガイドのような雑誌が出ていて,そこそこ売れているらしい。そんな情報で雑誌が成り立つということ自体,かつては考えられなかったのだが。
要するに,小説家になりたい,と希望する人の数が増えているのだ。そして,これはそういう賞を設けている出版社の編集者からきいた話だが,近頃の新人賞応募者の多くが,ろくに小説を読んでいないのだそうだ。
信じられないような話である。普通には,作家になりたい,小説を書きたい,という願望を持つのは,小説が好きで大いに読みあさった,という人間である。私の師の半村良先生が言っていた言葉を使うなら,「作家は読者のなれのはて」なのだ。
なのに,ろくに小説を読んだこともなくて,ただ小説家という職業に憧れる人間が出てきたのである。
おそらく,小説家になって一作当てれば,有名人になれて,お金もたんまり入ってくる,と考えているのだろう。
清水義範 (2003). 行儀よくしろ。 筑摩書房 pp.174-176
PR