ちなみに,東大工学部(のちに第一工学部に呼称変更)は,「土木工学科」「機械工学科」「船舶工学科」「航空工学科(機体専修,原動機専修)」「造兵学科」「電気工学科」「建築工学科」「応用化学科」「火薬学科」「鉱山及び冶金学科(鉱山専修,冶金専修)」で,第二工学部と同じ10学科である。
第二工学部には火薬学科および鉱山専修がなく,代わりに航空工学科が2学科に分かれて10学科となった。したがって,第一工学部と第二工学部の学科構成はまったく同じわけではなかった。
第二工学部の定員は各学科40人とするが,機械工学科のみ60人とし,合計420人を入学予定数とする。既存の東大工学部の定員が378人(1942年4月時点)だから,第二工学部はそれよりも42人多い計算になる。これは日本で最大の学生を収容する工学部が誕生することを意味した。
中野 明 (2015). 東京大学第二工学部:なぜ,9年間で消えたのか 祥伝社 pp.35-36
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