人間の行いとして,全体的な問題の責任をごく少数の人間に負わせようとするほど,問題を馬鹿馬鹿しく単純化したり,間違った方向へ導くものはなく,その思慮の足りなさが害をもたらす可能性も高い。にもかかわらず最近は,こと移民に関する限り,それが当然のこととしてまかり通っているのである。2年前,カリフォルニアでは,圧倒的多数で議案187が可決された。違法な移民に対する医療と教育の提供を拒否するという法案である。議案が可決されるや,州知事のピーター・ウィルソンは州の保険局に,合法的居住が証明できない妊娠女性に関しては診療を行なわないようにという通達を出した。私が間違っていたら,是非言っていただきたいが,親の行いのせいで,出生前の赤ん坊の命を危険にさらすというのは,少々残酷----野蛮と言ってもいいかもしれない----ではないだろうか?
同じくらい驚いたことに,最近政府は合法的な移民からも基本的な権利や資格を剥奪しようとし始めた。つまり,移民に対してこう言っているというわけだ。「長年我が国の経済のために尽力してくれてありがとう。しかし,このところ,ちょっといろいろとうまく行かなくてあんたたちを援助できなくなった。それになんといっても,あんたたちは発音が変だしね」
ビル・ブライソン 高橋佳奈子(訳) (2002). ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー 朝日新聞社 Pp.145-146
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