訴える資格のあるなしにかかわらず,訴訟を起こすことが一財産手に入れる手っ取り早い方法だという考え方は,アメリカ人特有の不思議な認識と結びついている。つまり,何が起ころうと悪いのは他人だという認識である。だからたとえば,1日80本の煙草を50年間吸い続け,結局肺癌にかかったとしても,悪いのは自分以外のみんなということになる。そこで煙草の製造会社だけでなく,卸し問屋,小売店,煙草を小売店に納入した運送会社などにいたるまでを訴えるわけだ。アメリカの司法制度の一番の問題点は,原告に対し,訴因にほとんど関係ない人や会社を被告として訴えるのを許している点である。
司法制度がそんなふうに機能している(というより,正確に言えば,機能していない)せいで,企業や団体にとっては,ことを訴訟にまで持ち込まれるよりも,法廷の外で示談で済ませたほうが安上がりなことも多い。知り合いの女性の話だが,雨の日にデパートに行って滑って転んだところ,驚いたことに,訴訟を起こさないと約束する書式にサインしてくれれば,2千5百ドルの和解金を支払うと,ほぼ即刻その場で提案されたそうだ。彼女は嬉々としてサインした。
ビル・ブライソン 高橋佳奈子(訳) (2002). ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー 朝日新聞社 p.264
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