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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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大学は国家に奉仕すべきか

この主張は,何重にも間違っています。なぜならまず,国の税金はそもそも国民に由来するもので,税金への義務ということならば,国民への説明責任になります。つまり,国立大学は,それぞれどのような方針に基づいて学生を選抜し,教育し,社会に送り出しているのかを国民に対して説明する責任を負っている——これが,そもそもの税金の拠出者である国民に対して国立大学が背負っている義務になります。どう考えても,「税金によって賄われているのだから,国家に奉仕すべきだ」という話にはなりません。
 しかも,ここでの問題はそれだけではありません。というのも,私が今,あえて「説明責任」という言葉を使ったように,国立大学は,国民からの税金によって賄われているとしても,国民の願望や要請の実現のために奉仕する組織ではないのです。たとえば,多くの日本国民が,日本人学者にノーベル賞を取ってほしいと願望している。だから国立大学が,1人でも多く日本人がノーベル賞が得られるようにその大学の研究体制を組み替えるとなったら,これは本末転倒も甚だしいことになります。大学にとって,たとえばノーベル賞は結果であって目的ではあり得ません。大学は,オリンピック選手養成機関のような組織とは根本的に異なるのです。様々な世界的な賞を得,名声を博するような人が大学から出てくるとしても,そうしたことを目的に大学があるのでは絶対にありません。
 同様のことは,私立大学にも当てはまります。私立大学にとって,学生からの授業収入は大学予算の重要な部分を占めますが,だからといって私立大学が授業料を払っている学生やその保護者の願望や要請だけを聞いて教育し,成績をつけていたら,その大学の教育研究はだんだん劣化していくでしょう。もちろん,いずれの場合でも学生や保護者への説明責任が大学にはあるのですが,説明責任を負うことと奉仕することは違います。
 つまり,大学は一般企業や商店とそこが根本的に異なるのであって,大学の目的,価値は国に従順な学生を育てることでも,学生を,その父母の期待をそのまま具現したような若者に仕立てあげることでもありません。大学は,保護者や国民に対して学生たちを立派に育てる義務を負っていますが,その「立派さ」の基準は,保護者や一般の国民が通念として考えているものと一致するとは限らないし,通念に従うべきものでもないのです。

吉見俊哉 (2016). 「文系学部廃止」の衝撃 集英社 pp.65-66
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