たとえば,平成28年度からは運営交付金の重点支援の枠組みであるところの,地域のニーズに応える人材育成・研究を推進するとされる「地域貢献型」,分野ごとの優れた教育研究拠点を目指す「特定分野型」,世界のトップレベルの大学と伍して卓越した教育研究を推進する「世界水準型」の3つの類型のどれかでなければ,運営交付金を3割も減らされるということが告知されている。各大学は自分たちの大学がこの3類型のどれであるかということを自ら受け入れて,その目標に沿った「改革」を「学長のガバナンス」を通して推進しなくては生き残れないのだ。
こうした状況のどこに「自主的な大学改革」の余地が残されているだろうか?国によってはんじがらめに縛られ,経営陣にも常に国の監視が向けられ,文部科学大臣の名前で公表されている中期目標・中期計画をやらなければ運営交付金を減らされると脅かされる中で,そして実際に毎年1%ずつ,年によってはさらに運営交付金が減額されている中で,学長や執行部が自主的にできることなどほとんどないのである。また,トップダウンで学長が強権的な大学支配を行ったりすれば,その学長を応援して支えている教職員たちの反乱が起きることは目に見えている。
つまり,学長という立場は大学の構成員と文部科学省の板挟みになってしまい,結局は両方の根回しをすることくらいしかできないのである。
室井 尚 (2015). 文系学部解体 KADOKAWA pp. 71-72
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