この記事のラストは,「ほかの人に差をつけようとユニークな格好ででかけたという面接武勇伝をよく耳にしますが,個性とはその人の人柄や発想力や知的レベルなど,内面からきらりとでてくるもの。服装や見かけで奇をてらうと,しくじる可能性が大」と締めくくられている。この結論自体は,今日でも通用する正論であろう。
だが,紫やピンクのスーツ,からし色のブレザー,プリント柄のワンピース,ポロシャツなどでの就職活動は,いまの常識からすればじゅうぶん「奇をてらう」行為だし,「面接武勇伝」どころか立派な暴挙である。「白い金ボタンのダブルのジャケットに,ボックスプリーツのスカート」姿への「ダークな色が多い中で「白」が明るい印象に<博報堂・中氏>」といったポジティブなコメントには,そのあまりの時代の隔たりゆえに,ただただ呆然としてしまう。
もちろん,雇用機会均等法以前の話なので,女子新入社員の位置づけも,今とは若干異なっていたのであろう。しかし,平成の時代に入っても,1990年代前半だと,さすがにダブルのスーツはまずいが,明るいグレーやベージュなどはまだありうる選択肢だった。だが,失われた10年や就職氷河期などとささやかれる中で,「紺→濃紺→黒」と,世の中の暗さを象徴するかのように,この20年間で就活生の色合いは,どんどんモノトーンとなっていったのである。
竹内和芳 (2014). 「就活」の社会史—大学は出たけれど…— 祥伝社 pp. 10-11
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