大卒者を迎え入れようにも,その空き枠はない,経済の先行きが不透明な状況で,幹部候補生ばかりにいられても,どうにも使い勝手が悪いし,人件費もばかにならない…。それが,1920年代の全般的な情勢であった。そうした時代を象徴するサイレント・ムービーが,小津安二郎監督の「大学は出たけれど」(1929年)である。このタイトルは当時の流行語となり,その後も今日に至るまで,不況(就職難)のたびごとに「大学は出たけれど」はマスコミに重宝されるフレーズとなっている。
1970年代頃から,「大学は出たけれど」定職に就かない(就けない)若者たち—「遊民」や「プー(タロー)」,後に「フリーター」「ニート」,さらには「新卒無業」や「非正規雇用」「プレカリアート」などと呼ばれる(もしくは称する)—が問題視され,ここ数年では「大学は出たけれど」奨学金が返還できない事態の広がりが取りざたされている。
竹内和芳 (2014). 「就活」の社会史—大学は出たけれど…— 祥伝社 pp. 38-39
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