フーテンは日本版ヒッピーともいうべき存在で,勤勉に働くことよりも,音楽や薬物,性愛など,享楽的な生き方を好んだ1960年代後半の若者風俗。富士ゼロックスの,フーテンっぽい加藤和彦—ミュージシャン,音楽プロデューサー,ザ・フォーク・クルセイダーズとして1968(昭和43)年に「帰ってきたヨッパライ」のヒットを飛ばす—をフィーチャーした感覚的な企業イメージCMが,当時話題を呼んでいたのである。
このCMを手掛けた電通のプロデューサー藤岡和賀夫は,大阪万博後の鉄道旅客の減少への対策として,国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンも担当していた。この頃から日本全国への,若い女性のグループ旅行がブームとなり,国鉄(現JR)や日本交通公社(現JTB)も就職先として人気を集めていた。
こうしたイメージ先行の企業選びについて,丸紅飯田の人事課長は,「新聞社とかけもちで受験していた学生に「新聞社と商社には共通性はないよ」といったら,「はなばなしく対外的に活躍できるという点で共通しています」という参りましたナ」と語っている。
学園紛争も収束し,私生活の充実へと目を向け始めた大学生たちは,ハードよりもソフト,重厚よりも軽さ,ダークよりもカラフルな「フィーリング」を求めたというのである。
竹内和芳 (2014). 「就活」の社会史—大学は出たけれど…— 祥伝社 pp. 197-198
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