だが,所得格差に代表される社会経済的な格差の話となると,議論をしても話がなかなかまとまらない。なぜなら,「努力や能力が評価されないのは悪平等だ」とか,「平等を追求して格差を減らすと活力や効率が低下する」「経済の成長のためには平等を多少犠牲にしても許容される」などといわれると,「格差にもいい面がある」「必要悪だから仕方ない」と思えるからだ。
つまり,格差にも「よい格差」と「悪い格差」がある。あるいは,格差にも「いい面」と「悪い面」があるから「価値観しだい」となる。格差を巡っては,そんな平行線のまま答えが出ない「不毛な論争」に終止している感がある。しかし,「健康格差」は「経済格差」とは違う,と私は思う。健康格差が「悪い格差」であることには,多くの人が同意する。従来の格差論争には「健康格差」の視点が抜け落ちていた。それを持ち込むことは,「悪い格差」をみえやすくして,格差論争を不毛なものから一歩進めるものになる。私が問いたいのは,「悪い格差」まで放置しておいていいのか,である。
近藤克則 (2010). 「健康格差社会」を生き抜く 朝日新聞社 pp. 31-32
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