こうして,遺伝単位による遺伝現象の理解という態度は,飛躍的に広がっていった。ただし人間の場合,血液のABO型の遺伝を除けば,はっきりメンデル型の遺伝をするのはごく一部の病気にかぎられていた。1902年にイギリスの医師A・ギャロッドは,アルカプトン尿症がメンデル劣性の遺伝形式に従う遺伝病であることを報告し,6年後に,生得的代謝異常は特定の酵素の欠陥によるのではないか,という一遺伝子一酵素説に近い考え方を提示した。
しかし,純生物学的な遺伝理論の発展は,この新理論を例外的な病気だけに適用するのとはまったく逆の態度を鼓舞する時代的雰囲気のなかにあった。自然科学主義の底にあるのは,単純化された因果論的解釈の偏愛である。こうして世紀交代期には,すべての形質は生殖細胞に由来するはずだという,純「生殖質的」人間観が漠然と広がっていった。それは,生活環境の改善や教育の効果を否定する主張でもあった。
米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 20-21
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