19世紀後半は,精神病・精神障害者の問題が,社会的に急に重みを増しはじめた時代であった。そのきっかけの1つは,初等教育の義務化であった。1870年,イギリスでは教育法が成立し,大量の極貧層の子供たちが初等教育を受けることになった。ところが多くの子供たちが授業についていけず,肉体的・精神的な欠陥があることが問題となった。1885年に王立障害者学級委員会が設置され,ここが5万人の小学生を対象に教師から報告を集めたところ,9186人の精神・神経系の障害児がいることがわかった。これによって特殊学級の設置が勧告され,貧困家庭の子供には無償の補習授業と住宅費補助が支払われることになった。98年からはイギリス各地で特殊学級が開始され,翌年には特殊学級法が成立した。
19世紀のロンドンは,おびただしい数の極貧層をかかえており,別の人種とみえるほど肉体的にも精神的にも衰弱した集団を形成しているようにみえた。世紀末になると,これらの極貧層の一部の人びとは,精神障害(当時の表現では精神薄弱)という医学的な課題として把握しなおされることになった。1904年に,「王立精神遅滞保護抑制委員会」が設置され,1908年には報告書がまとめられた。この委員会がまず行ったのは,精神障害の区分と定義であり,そのうえでイギリスの精神障害者の全体像を把握することであった。そこで浮かび上がってきたのが,精神障害の女性の出産・育児の問題である。この時代,精神障害は遺伝によると漠然と考えられており,しかも一般の女性より多産であると信じられていた。このことは非摘出子と精神障害の子供が増えることを暗示しているとされ,社会に倫理的危機をもたらす恐れすらあるとされた。調査を行ったA.F.トレドゴルドは,一般の女性は平均4人子供をもつのに,「劣悪家族の女性は平均7.3人の子供をつくる」と結論づけた。この論法こそ典型的な優生学的主張である。
米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 26-27
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