優生学が医学的にも説得力をもつようになった1つの歴史的道筋は,おおよそ次のようなものだ。まず,細菌学の発達によって多くの伝染病が克服可能なものとなる。外科手術の進歩,新薬の開発なども,さまざまな病気の克服に大きく貢献した。さらに社会環境の整備を通じて,罹病率や死亡率を引き下げる努力がなされた。しかし,それでもいくつかの病や障害は克服できないものとして残った。少なくとも今世紀初頭において,「遺伝」という概念は,厳密な科学的概念としてよりも,克服できないこれらの病や障害を説明する1つのマジック・ワードとして多分に機能した。肺結核の発症を遺伝に結びつける,グロートヤーンの先のような主張が,特効薬のペニシリンによって肺結核が十分治療可能なものとなる30年代以降,影をひそめるようになるという事実は,かつて遺伝概念が担っていたそうした機能をよく物語っている。
そして,優生学の課題は,遺伝として説明された不治の病や障害をもつ人々がその生命を再生産する回路を,何らかの方法で遮断することによって,彼らの病や障害そのものを将来,社会から根絶することに,求められたのである。
米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 61-62
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