優生学は,まず基本認識として自民族が変質(退化,dégénérescence)していると考える。その先駆けとなったのはフランスの医学者ベネディクト・モレルの『人の種の肉体的,知的,道徳的変質論』(1857年)だった。彼はこの書物の中で,キリスト教の創造説を信奉しつつ,毒物や栄養不良,気候・土壌などが原因で代を追うごとに人は退化し創造の頂点からすべりおちると警鐘を鳴らしたのである。このモレルの論は,その後大きな影響力を持った。19世紀末から20世紀初めにかけて,すべての病理的発現が,遺伝性のものだろうとそうでなかろうと,世代から世代へ伝わる「変質」の兆候とされた。そこには,小頭症やくる病などの身体的障害,知的障害,アルコール依存症やてんかんなどの精神医学的症状に加えて,甲状腺腫やさらには結核,性病,マラリアなどの感染症まで入れられた。結核や梅毒と,知的発達障害・脊髄異常・犯罪の増加などが結びつけて考えられた。また精神医学者のV.マニャンは変質概念をダーウィン進化論と結びつけ,それを生存競争における敗北とみなした。こうしてフランスの医師は個人の診断と集団の分析を混同していったとキャロルは断じる。
米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 150-151
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