これにともない,戦後の「人口資質問題」も新たな段階を迎えた。人口資質向上の目的が経済成長に絞り込まれたのである。1960年12月に国民所得倍増計画を決定した池田内閣は,経済成長の推進力として人的能力の開発と人口資質向上を重視し,62年5月には「人づくり」政策を発表した。「国民の遺伝素質の向上」を唱えた厚生省人口問題審議会「人口資質向上対策に関する決議」(62年7月)はこの流れで出てきたものである。
「人口資質向上対策に関する決議」では,経済成長の前提として技術革新に即応できる心身ともに「優秀な人間」が必要であり,「人口構成において,欠陥者の比率を減らし,優秀者の比率を増すように配慮することは,国民の総合的能力向上のための基本的要請である」とした。「対策」として「幼少人口の健全育成」など8項目が列挙されているが,その1つに「国民の遺伝素質の向上」も含まれていた。それによると「長期計画として劣悪素質が子孫に伝わるのを排除し,優秀素質が民族中に繁栄する方途を講じなければならない」として,遺伝相談の全国的整備や「優秀素質者」の育英制度の活用を求めた。これはまさに優生政策の提案といえる。
米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 191
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