また,日本ではあまり知られていないが,出生前診断を予防手段として積極的に導入した例としてキプロスがある。
この国では,βサラセミアというメンデル劣性の遺伝性貧血の遺伝子頻度がきわめて高く,人口70万人のうち17パーセントがこの病気の原因遺伝子をもっていると計算されていた。そこで,医学者が中心となってキプロス・サラセミア・プログラムが組織され,まず大規模な啓蒙教育が行われた。そのうえで1977年以降は出生前診断と中絶が推奨され,80年代に入ると,キプロス教会がヘテロの保因者(父母の片方だけから遺伝子を受け継いでいるため本人は発病しない)同士の結婚を思いとどまらせる目的で,結婚許可証の採用に踏み切った。理論的には毎年60人前後のホモの因子をもつ(父母双方から病気の遺伝子を受けついだために発病する)新生児が生まれてくる計算だったのが,これによって,88年以降は発生をゼロに抑えてきている。このキプロスの例は「遺伝病の発生予防の成功例」として,しばしばあげられてきている(詳細は,Ethics and human genetics; Council of Europe Press, 1994)。
また,ほとんど同時期にアメリカでも,東欧系のアシュケナージ・ユダヤ人に多いテイ・ザックス病という遺伝病に対して,出生前診断と中絶によって劇的に発生を抑えこんだ例がある。
今日からすれば,このような遺伝病対策は優生学的熱狂ともみえるが,当時の関係者はみな善良な人たちであり,これらのプロジェクトも,まったくの善意で行われてきたのである。
このようにある社会において,遺伝病の病態,技術の水準,遺伝病に対する態度,宗教的伝統,経済水準などの要因が重なれば,ある時期には,集団スクリーニング,宗教指導者による結婚の誘導,選択的中絶などが,合理的な疾病対策として受け入れられることもありうるのである。言い替えれば,国の近代化過程のある段階では,一種の必然として,あるタイプの優生政策に急接近する時期があることを,善悪の判断とは別に心に留めておく必要がある。
米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 246-247
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