ヒトラー出現以降の世界に住むわれわれは,人間の価値や反社会的行動の原因を生物学の次元へ還元してしまうことの危険をよく知っており,事実そのような警句は繰り返し発せられてきた。ここでもう一度整理しておくと,その危険とは,IQの遺伝子や,犯罪傾向の遺伝因子や,反社会的あるいは暴力的な遺伝子などという,生物学のレベルとは対応関係のない,その意味でありもしない遺伝因子を想定したり,人間の社会的行動を説明づけしようとする生物学概念へ人間解釈を還元してしまったりすることである。それは,人間解釈の浅薄さ以外の何ものでもなく,このような言説に対しては感度を鋭くして,ていねいに批判しつづけていかなくてはならない。
同時にわれわれは,飛躍的に研究が進むであろう脳神経系の生物学の研究成果を常時モニターし,ここから引き出されてくる脳神経系の疾患のしくみを正確に理解するようにすべきである。科学的にも倫理的にも妥当と思われる治療や予防の手段については,これを受け入れていくだけの洞察力と理解力をあわせもたなければならない。しかし,それ以前に,正確な医学的意味が理解されないまま,また科学的意味が未解明のまま,遺伝子診断がサービス産業として拡大していくことの非合理と無責任さは,何より科学および医学の立場からもっと問題視されてよいだろう。
ただし,医学史研究・医療人類学などが明らかにしているように,何を「疾患」や「障害」とみなすのか,また「疾患」や「障害」にいかに対応すべきなのかについては,文化や価値観,あるいは「疾患」や「障害」をもつ当事者であるか否かなど,さまざまな要因が関わってくる。科学や医学の研究成果を正確に理解するとともに,その成果が人間社会に発信される場面でいかに意味づけられ機能するかという面も,監視しなくてはならない。
米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 269-270
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