このような偏見にはかつては実用的な意義があった。よそ者は地元の住民に比べて,自分が免疫をもっていない病気を運んでくる可能性が高かったので,見知らぬ人を避けるようにすれば,最新版の天然痘,ペスト,あるいは豚インフルエンザも避けやすいからだ。ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』を読んだ人は,ヨーロッパ人の持ってきた銃よりも,ヨーロッパ人の運んできた病気によって殺されたネイティブ・アメリカンのほうが多いことを知っているだろう。もちろん,進化の末に身についた傾向には常に長所と短所がある。たとえば,私たちの祖先は他の集団と物品を交換し,地元の外に目を向けることで配偶者を見つけることも多かったので,完全な孤立は,危険を避けるばかりでなく機会も失うことになる。そこでマークたちは,病気を忌避するメカニズムは柔軟なものだったはずだと考えた。
一見して病気にかかっているとわかる人や,疫病が流行っているという知らせは,見知らぬ人を避ける理由としては十分なものだろう。それと同様に,各個人の病気に対する脆弱性もまた,見知らぬ人を避ける理由になるのではないか?そうでなければ,外国人恐怖症は割にあわないとマークたちは考えた。
ダグラス・ケンリック 山形浩生・森本正史(訳) (2014). 野蛮な進化心理学 白揚社 pp. 79-80
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