では,自然淘汰説を正しく理解するとはどのようなことか。それは,「適者生存」という言葉にあるとおり,生き延びて子孫を残す者を,まさしく適者として理解するということだ。生存するのは,強者(強い者)でも優者(優れた者)でもなく,あくまで適者(適応した者)であると理解するのである。これは言葉を字面通りに理解するというだけのことで,当たり前といえば当たり前の話なのだが,私たちの日常的理解にとっては,必ずしも当たり前のことではない。
私たちは多くの場合,生き延びて子孫を残すべき存在を,強者とか優者としてイメージしている。強いものが弱いものを食い物にするとか(弱肉強食),優れたものが劣ったものを駆逐する(優勝劣敗)といったイメージだ。でも,こうした弱肉強食や優勝劣敗のイメージは,あくまで人間が自然や野生といった概念にたいして抱く印象や願望の反映にすぎない。私たちがふだん抱いている進化論のイメージは,大部分がこうした印象や願望,あるいは失望を投影したものだ。
吉川浩満 (2014). 理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ 朝日出版社 pp.98-99
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