生後何年間かを覆っていたヴェールに関する最新の説明は,その原因を子どもの自己意識の足りなさに求める。「私」とか「自分」がないかぎり,経験が個人的な思い出として貯蔵されることはないというのである。心理学者マーク・ハウとメアリー・カリッジは,幼児は自分自身に関する大量の洞察を別個の「私」としてまず蓄積し,その後それを自伝的記憶のようなものに発展させることができると考える。「私」のない記憶は,主人公のいない自伝と同じで,考えられない。自己意識が子どもに現れはじめる最初の徴候は,1歳の誕生日以降にならないと観察されない。ごく低年齢の子どもも,鏡に映った自分の映像に反応する。それに向かって手を伸ばし,にこにこして,意味のない音声を発する。1歳の誕生日が近づくにつれて,鏡の性質をなんとなく理解し,鏡のなかに見える物体を振り返って見はじめる。しかし,鏡に映っているのが自分であることを理解するのは,生後18ヵ月ころになってからだ。そのころになってはじめて,知らないうちに鼻の頭に口紅を塗られたりすると,鏡のなかの自分の鼻に驚いて,手を伸ばすようになる。鏡に映った自分を一度も見たことのなかったベドウィン族の子どもを対象にしたテストも,鏡の経験はなんら違わないことを実証している。子どもが写真のなかの自分を指差しできるのは,やはり18ヵ月またはそれ以降である。子どもの発達が,たとえば精神障害や自閉症によって遅れると,必然的に自己意識も遅れる。子どもは,実年齢に関係なく,18ヵ月の精神レベルに達すると,「私」としての自分自身を理解するようになるのだ。
自己意識が芽生えたことを示すもう1つの兆候は「ぼく・わたし」とか「ぼくを・わたしを」という語を使うことである。これらは子どもが身につける最初の代名詞であり,その後何ヵ月か経って「きみ・あなた」が出てくる。だが,これらの語の正しい用法は複雑である。「あそこ」だった場所が,そこに歩いていくと「ここ」に変わるのと同様に,「わたし」と「あなた」は話し手の観点によって変わり続ける。同じ2歳の子どもでも,その子が何かいうときには「わたし」だったものが,誰かがその子に何かいうときには「あなた」になる。「わたし」という人が世の中に大勢いるということも,同じように混乱のもとだ。これら代名詞を正しく使うには,自分と他人との違いがわかることが前提である。大多数の子どもは2歳近くなるまでにこの問題を解決し,以後はどんな場合でも「わたし」と「あなた」と「わたしを」の区別ができるようになる。
1人の人間の経験を記憶に結びつける「わたし」がある場合にのみ,自伝的記憶は展開される。この記録は,一度開かれると,作者であり主人公である者の参加をどんどん受け入れる。ハウとカリッジの仮説とネルソンの仮説の共通点は,変化するのは記憶そのものではなく,記憶が並べられ,貯蔵される方法だという点である。どちらが先かという問題,すなわち自己認識が自伝的記憶を引き出すのか,その逆かという問題はそれほど重要ではない。それは明確な出発点のないプロセスであり,一方向に進むものではなく,どちらの方向が優勢かさえ決められない。確かなことは,多くの自伝的作品において,いちばん古い記憶はその人のアイデンティティ獲得と関係していることである。
ダウエ・ドラーイスマ 鈴木晶(訳) (2009). なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 講談社 Pp.44-45.
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