ダーウィンの信奉者たちがジャーナリズムを通じて熱心に吹聴したのも,その結果として近代人の心に根付いたのも,もっぱらこのスペンサー流の進化思想だ。だから,これまで「社会ダーウィニズム」と呼ばれてきた思想は,実際にはかつて一度もダーウィンの進化論であったためしはないということになる。それは実質上は「社会ラマルキズム」ないしは「スペンサー主義」であり,本来ならそう呼ばれるか,あるいはたんに「社会進化論」などと呼ばれるのがふさわしいものだったのである。
結局,誰もが「ソースはダーウィン」としながら,発展法則にもとづく非ダーウィン的な発展的進化論を好き勝手に開陳していたのである。日本においても,明治期に導入されて以来,少なくとも一般社会,つまりお茶の間やジャーナリズムにおいては,「進化論」はつねに社会進化論であり,「ダーウィニズム」はつねにスペンサー主義であった(し,現在でもおそらくそうである)。
吉川浩満 (2014). 理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ 朝日出版社 pp.158-159
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