それを可能にしたのが自然淘汰説である。先にも少し触れたように,次の三条件——個体間に性質のちがいがあること(変異),その性質のちがいが残せる子孫の数と相関すること(適応度の差),それらの性質が次世代に伝えられること(遺伝)——がそろったとき,自然淘汰のプロセスによって進化(遺伝的性質の累積的な変化)が起こる。これらはすべて自然主義的に説明できるものであり,その上位や下位に進化の方向性をつかさどるような存在や原理を想定する必要はない。
この考えは,ラマルクやスペンサーの発展的進化論が想定した進化の発展法則を不要にする。これが発展的進化論とダーウィンの進化論(ダーウィニズム)とのあいだにある決定的なちがいであり,非ダーウィン革命において忘れられた大義であった。
これは学説上の些細なちがいではない。帰結は重大である。これによってダーウィニズムは発展的進化論とはまったく異なった進化観をもたらすことになるからだ。進化とは「偶発性」(contingency)に左右されるものだという新しい進化観である。
吉川浩満 (2014). 理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ 朝日出版社 pp.160
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