ところで,心理学の読み物などではアルゴリズムとヒューリスティクスが2つの対照的な方法として紹介されることがある。たとえばアルゴリズムは論理的・科学的な解決方法であるのに対して,ヒューリスティクスは直観的・人間的な解決方法である,というように。機械やプログラムと人間を対比するこうした説明は,わかりやすい反面,無用な誤解を生むのではないかとも思う。広い意味ではヒューリスティクスもアルゴリズムの一種なのだから。それはかぎられた資源をもとに近似的な解を求めるアルゴリズムなのである(人間の直観的思考もかなりの程度までアルゴリズムの観点から解析可能だと思う。心象やイメージの感覚についてはわからないが)。だから,必要以上にアルゴリズムとヒューリスティクスを対照させると,自然淘汰のアルゴリズムと適応主義のヒューリスティクスがまるで別物であるかのように誤解してしまうかもしれない。実際には,適応主義のヒューリスティクスは(自然淘汰がアルゴリズムであるのと同様に)アルゴリズムの一種であるし,自然淘汰のアルゴリズムも(人間のヒューリスティクスよりさらに非効率的かもしれないが)ヒューリスティクス的な解決を行う。自然淘汰という研究対象と,適応主義という研究方法とは,ともにアルゴリズムという点で同じものだ。それが適応主義プログラムの有効性の秘訣なのである。
吉川浩満 (2014). 理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ 朝日出版社 pp.248
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