過去に起こった出来事や変化を眺めるとき,それらのすべてが「いま・ここ・われわれ」を目指してまっしぐらに進んできたという印象を拭いさることはむずかしい。過去を振り返るときには,つねに時系列の最終地点(=現在)からそうするしかないのだし,過去は現在に近づけば近づくほど現在に似てくるのだから,当たり前といえば当たり前の話ではある。
しかし同時に,歴史の行く末を見通すことはきわめてむずかしい。振り返ってみればそうでしかありえなかったとしか思えない出来事も,その時点において予見できるかどうかとなると話は別だ。パスカルが語ったように,歴史ではほんのわずかなちがいが重大な結果をもたらしうるようなかたちでカオス的に遍歴する。歴史とはそうしたものだということを,すでに私たちはよく知っている。本能寺の変,アメリカ同時多発テロ,QWERTY配列キーボードの普及,ベータ方式に対するVHS方式の勝利等々,後知恵でもって振り返れば一連の出来事が明確な方向性を持って推移してきたように見えるが,当時それを適確に予見することは不可能だっただろう。
吉川浩満 (2014). 理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ 朝日出版社 pp.332-333
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