私たちは特別の時間尺度によって屈辱的な出来事を覚えているために,当時体験した身体的反応を,機会あるごとに再体験する。私は,老人たちが70年前に受けた侮辱に顔を赤らめるのを見たことがある。半世紀以上経っても,人はまだ激怒して震え,怒りのあまり椅子の肘を叩く。真に屈辱的な出来事を話すときは,もう一度目を覆いたくなったり,聞き手から顔を背けたくなったりする。
屈辱的な出来事の記憶に関して,もう1つおかしなことがある。自分自身が見えるのだ。恥ずかしかったことを1つ思い出してみれば,顔を赤らめて,傷ついた感情を押し隠そうとしている自分の姿が見えるだろう。他人が笑い,哀れみに満ちた顔をしているのも見えるだろう。まるで,自分でその場面を記録したわけでもないのに,その場面の出演者の1人だったかのようなのだ。
ダウエ・ドラーイスマ 鈴木晶(訳) (2009). なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 講談社 p.68
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