歴史のなりゆきというのは,あとから振り返ったときにだけ,当然の帰結のように感じられるものだ。しかしそのなりゆきを目の前で見ていたアメリカ人たちが下した判断は,さまざまな要因の上に成り立っていた。個々の性格や,彼らが目撃したそれぞれに異なる現実の断片もあるし,またときには自分が見たいものだけを見ていたこともあっただろう。それが実際には,正反対の意味を持っていたとしてもだ。シュルツはアメリカとドイツがふたたび交戦状態にはいったあとで,レーダーが1919年に語った言葉を引き合いに出しつつ,ヒトラーの運動は,先の大戦の敗北によって誘発された憎悪がもたらした当然の帰結だという持論を展開してみせた。しかしその他多くのアメリカ人は,第一次世界大戦後の混乱期に自分たちが受けた温かいもてなしが忘れられず,あの戦いの犠牲が大きかった分だけ,ドイツ人にとってはそれが教訓になっているはずだという思いを捨て切れずにいた。<シカゴ・トリビューン>のライバル紙,<シカゴ・デイリー・ニューズ>のベルリン特派員であったエドガー・アンセル・マウラーによれば,1920年代には「ドイツにいたアメリカ人の多くが,大戦での敗北,屈辱,インフレ,内政の混乱によって,ヨーロッパの覇権を狙うのは愚かな行為だとドイツ国中が悟ったはずだと,心から信じていた」という。
アンドリュー・ナゴルスキ 北村京子(訳) (2014). ヒトラーランド:ナチの台頭を目撃した人々 作品社 pp.13-14
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