しかし,アメリカ人がふだん目にするごく普通のドイツ人の生活は,とうてい愉快などと言えるものではなかった。バークレーからの交換留学生イーニッド・キーズは,1931年11月17日の故郷への手紙に,ベルリンでの生活の「悲しい一面」について書いている。「通りを1ブロックでも歩けば,かならず目の見えない人,オーバーシューズに新聞紙を詰めて靴の代わりに履いている老女,手足がない人,物乞いをしたり,マッチや靴紐を売ったりしている白髪の元軍人を見かけます。背を丸めた,節くれだった手の老人たちが,寒さで青白い顔をしながら仕事を求めてうろつきまわり,寒々しい公園で小枝を拾い集めたり,側溝をさらって紙を探したりしています」。その翌日,キーズは,街の人々はさらに意欲を失っているように見えると書いている。「通りの物乞いは,恐ろしいほどに数が増えています」。女性たちが通行人に近づいては,お腹が空いているんです,子どもたちが「食べものが欲しくて泣いています」と懇願するのだという。
アンドリュー・ナゴルスキ 北村京子(訳) (2014). ヒトラーランド:ナチの台頭を目撃した人々 作品社 pp.117
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