ナチ党の運動に亀裂が入っているといううわさや,11月6日に行なわれた国会選挙でナチ党の得票が落ち込んだという事実もあり,これと似たような幻想を抱く者はシュライヒャーのほかにもいた。アメリカ大使サケットの場合はむしろ,第三党の共産党が議席を伸ばしたことのほうを気にかけていた。サケットは,左翼は極右よりも危険だとみなしていたのだ。共産主義の脅威に対抗するためには「当時はきわめて中央集権的な,多少軍事寄りの政権を持つことが重要なのはあきらかだった」とサケットは述べている。彼はワシントンに対し,ヒトラーはどうやら「自分ひとりによる支配」を狙っており,彼とゲッペルスは「さまざまなできごとを,自分たちの妄想や目的に都合のいいようにねじ曲げる名人で,また疲れを知らない雄弁家」であると報告するいっぽうで,その言葉の端々にはこのナチ党リーダーを馬鹿にしているような響きも感じられ,ヒトラーのことを「P.T.バーナム[1810〜91年。人気サーカス団を設立したことで有名]以来の大物芸人」と評していた。
アンドリュー・ナゴルスキ 北村京子(訳) (2014). ヒトラーランド:ナチの台頭を目撃した人々 作品社 pp.142-143
PR