シェレシェフスキーの精神生活はほとんど病的だった。彼の精神状態は,私たちが眠りに落ちるときにときたま経験する意識状態に似ていたに違いない----次々に絵が思い浮かんでは連想を生じさせ,でたらめに編集された映画みたいに脈絡のないイメージが流れていく。シェレシェフスキーのことをよく知らない人は,はじめて彼にあったときのルリヤと同じように,まるで正気でないかのような,奇妙な印象を受けた。完璧な記憶力はハンディキャップでもあるのだ。シェレシェフスキーとボルヘスのフネスとの類似は,非常に暗く重苦しい。それは,驚くべき記憶力をもった実在の人間と小説の登場人物とが,ともに完璧な記憶力をもっているだけでなく,それに伴う精神的な障害も抱えているからだ。「シェレシェフスキーはよく,『人の顔が覚えられない』とこぼした。『人の顔はとても変わりやすい。人の印象は,たまたまその人に会ったときの,相手の気分や状況によって違う。人の顔はたえず変化している。ぼくを混乱させ,顔を思い出すのを困難にしているのは,顔にはいろいろ異なった表情があることだ』」。フネスも同じ問題を抱えていた。鏡に映った自分の顔を見るたびに,彼は驚いた。他の人々には同じに見えるのに,彼には違いが見えた。「フネスはいつも,腐敗や虫歯や疲労が音もなく進行していくのを見分けることができた。死や湿気の進み具合が見え,それに気づいていたのである」。この2人の人生の皮肉は,その完全無欠な記憶力ゆえに,あらゆる連続感が破壊されたことである。
ダウエ・ドラーイスマ 鈴木晶(訳) (2009). なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 講談社 Pp.97-98
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