ナチ党はこのころになると,特派員を無理に追い出した場合,プロパガンダ合戦に負けることに気付きはじめていた。追い出された記者たちは,母国で一躍注目の的となるからだ。ナチ党はその代わり,新たな手段として,気に入らない相手に不名誉な罪を着せるというやり方を思い付いた。記者たちのところには,自分はナチスドイツに反対していると称するドイツ人が近付いてきて,極秘の軍事情報を提供すると言ってくるようになった。シグリッド・シュルツは,その手の男たちを一度ならず<シカゴ・トリビューン紙>のオフィスから追い出し,同僚たちにも,あいつらとはいっさい関わらないようにと言い含めていた。1935年4月のある日,シュルツが自宅に戻ると,留守のあいだに一通の封書が届いており,表には「重要情報」と書かれていたため,持ってきたのはどうやら例の男たちの仲間だと思われた。封筒を開けると,中身は飛行機のエンジンの設計図で,シュルツはすぐさまこれを暖炉で燃やした。もしこんなものが自宅で見つかれば,スパイ容疑の裁判で格好の証拠として使われてしまう。
シュルツがオフィスに戻ろうと歩いていると,以前,秘密警察と会ったときに顔を見たことのある3人の男が,彼女の自宅のほうへ歩いているのを見かけた。シュルツは男たちの前に立ちふさがり,もうあの封筒は燃やしたから,わざわざ家に行かなくてもいいと告げた。3人は言葉を失って立ちすくみ,シュルツはタクシーを止めて,運転手に大声でアメリカ大使館へ行ってくれと告げた。
アンドリュー・ナゴルスキ 北村京子(訳) (2014). ヒトラーランド:ナチの台頭を目撃した人々 作品社 pp.259-260
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