皮肉にもヒトラーとナチ党は,ずっと以前から,オリンピックなどの国際スポーツ大会をドイツで開催するというアイディアを,辛辣な言葉で批判し続けていた。彼らは1923年には,ミュンヘンで開かれたドイツ体操祭に反対している。この大会が「ユダヤ人,フランス人,アメリカ人」の参加を受け入れているのがその理由だと,ヒトラーの署名がある請願書には記されている。政権を取る直前の1932年,ヒトラーはオリンピックを「フリーメイソンとユダヤ人の陰謀」と糾弾した。しかしオリンピックをベルリンで開催することは,すでにその1年前に決定された事項であった。ナチ党が政権の座に就いてからも,彼らはまだ,”ユダヤ人や黒人を含めた国際的な競技会”という概念に納得がいかないようだった。<フェルキッシャー・ベオバハター紙>は怒りもあらわに,黒人が白人と競うことができるなどという考えは「オリンピックの概念にとっての不名誉であり,その価値を貶めるものだ」と書き立てた。「黒人は除外すべきだ。われわれは断固要求する」
アンドリュー・ナゴルスキ 北村京子(訳) (2014). ヒトラーランド:ナチの台頭を目撃した人々 作品社 pp.285-286
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