小林が正当に指摘するように,現在「演歌」と呼ばれているものは,1960年代のある時点まで,それまでは広い意味での「流行歌」ないし「歌謡曲」に含まれ,必要に応じて「民謡調」「小唄調」「浪曲調」,あるいはそれらをひっくるめて「日本調」の流行歌として「洋楽調」(「ジャズ調」,あるいは「ポピュラー調」)と区分されていました。
現在「演歌」の下位ジャンルとみなされる「ムード歌謡」を構成する「和製ブルース」や「ラテン風」の曲調は,「都会調」としてどちらかといえば「洋楽調」側に分類されていました。
それがいつの間にか,「演歌」が独自のジャンルとして認識されるようになり,「日本の心」といった物言いと結びつけられるようになり,この言葉が存在していなかった過去の流行歌に対しても当てはめられるようになってゆくのです。その過程で,「演歌」誕生以前から活動してきた美空ひばりや春日八郎などは,新たに誕生した「演歌」イメージに添うような形で自らの活動を「演歌歌手」として鋳直してゆきます。
輪島裕介 (2010). 創られた「日本の心」神話:「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 光文社 pp.14-15
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