自閉症で,しかも精神に障害を負ったスティーヴンは,サヴァンでもある。ごく幼いころから,才能ある芸術家ですら何年もかけて習得するような技量で,町や建物を描くことができた。とくに遠近画法における彼の卓越した技能は驚異的だ。1987年にBBCが彼のドキュメンタリー番組を制作したあと,彼の画集が何冊も出版された。『浮かぶ都市』に収録されてる作品は,ヴェネツィア,アムステルダム,レニングラード(現在はサンクトペテルブルグ),モスクワで描かれた。彼は,アムステルダムはヴェネツィアより美しいという。「車があるから」だそうだ。
スティーヴンは,天性のバランス感覚で,すばやく正確に描く。彼はアムステルダムの西教会の絵を,2時間足らずで描きあげた。彼は,建物構造の輪郭線を使う必要もなく,定規なしで,消尽点(ヴァニシング・ポイント)も使わずにフリーハンドで描く。彼が絵を描くのを見た人は誰でも,「製図機械」にそっくりだと思わずにいられない。彼の動作には何のためらいもないばかりか,じっくり考えることもしない。ときおり遠くから画用紙を見て釣り合いをチェックするというようなこともなく,すべての部分が同じスピードと正確さで描かれる。描きながら鼻歌を歌ったりぶつぶついったりするので,ますます製図機械を連想させる。もし彼がときどき何かぶつぶついわなければ,見ている者は自分がグラフィック用コンピュータのプリンターのそばに座っているような気になるだろう。
けれども彼の絵は,彼の限界をも物語っている。彼の絵に欠けているのは解釈であり,雰囲気である。建物の絵のなかには,光り輝く春の朝に描かれたものもあれば,秋の午後に描かれたものもあるのに,彼の絵にはそれが何ひとつ反映されていない。光も影も,部分的に強調された描写も,まったく見えない。建物のどちら側に陽が当たっているかも,そもそも太陽が照っているかどうかもわからない。背景もなく,雲もない。スティーヴンのスケッチブックには,夕闇のなかの荒涼とした家も,不気味な家もない。彼の絵を,姓名不詳の巨匠が描いた西教会の線描画と比べてみれば,その違いがはっきりする。この巨匠の作品は,独特の雰囲気に満ちている。スティーヴンは,縦横様々な線から構成された単なる空間を描く。もし芸術的才能というものが作品に解釈を導入する能力だとするなら,スティーヴンの絵は真の意味での芸術とは呼べないかもしれない。彼の描く建物のファサード(建物前面)は,実物の空間的構造と一致する。彼の絵はまったく形象描写的であり,具象的である。
ダウエ・ドラーイスマ 鈴木晶(訳) (2009). なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 講談社 Pp.114-115
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