よく知られているように,藤山,淡谷,東海林らは,昭和40年代以降「ナツメロ歌手」として復活後,現役の若い歌手たちの技術の欠如に対して厳しい非難を繰り返しますが,それはむしろ昭和30年代から40年代を通じて流行歌手に必要な素養が,旧来の西洋芸術音楽に基盤をおいたものから決定的に変質してきたことを意味しています。
藤山の「古賀メロディー」,淡谷の「和製ブルース」,東海林の「股旅調」のように,彼らは現在の「演歌」の原型といえる諸曲調を確立した歌手であるにもかかわらず,淡谷の「演歌嫌い」や「歌屋」発言にはっきりと示されているように,「クラシックに準ずる楽曲」を歌っていると自認していた彼らにとって,西洋芸術音楽の歌唱法に依拠しない「戦後派」の歌手の歌唱(それは現在の「演歌」を最も強く特徴づけているものですが)は,強い違和と拒否をもたらすものであったのです。
輪島裕介 (2010). 創られた「日本の心」神話:「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 光文社 pp.74-75
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