より廉価なデータ源からでも簡単に入手できる記述や予測と同じものを得るために,時間がかかる高価な性格テストや推論過程を用いるのは無駄なことである。例えば,臨床家が他人のロールシャッハのプロトコルに基づいて,その人の性別や職業や結婚状態を正確に記述できることを立証しても無益なことである。テストに基づく所説が,それまでに通常使用されてきたデータと単に一致するだけなら,その所説はとるにたらないものとなる。もしある診療所が所員による行動評定を定期的に得ていれば,その評定と一致する推論がテストから得られたとしても,ほとんど情報は増加しない。ただし,テストによる記述がより経済的に得られたり,より正確であるか,より豊富な内容を有している場合には,この結論はあてはまらない。同様にテストに基づく記述が,通常入手できる他のデータ源に比べてより速やかに,判明しにくい事実に関する所説を示すことができれば,記述を得るためのコストは正当と考えられよう。テストに基づくパーソナリティの記述は,より使用しにくく不経済な他のデータ源に比べて,妥当な情報を,有意に多く与える場合にのみ価値がある。これが,「増分妥当性」の意味する内容である。
ウォルター・ミシェル 詫摩武俊(監訳) (1992). パーソナリティの理論:状況主義的アプローチ 誠信書房 pp.109-110
(Mischel, W. (1968). Personality and assessment. New York: John Wiley & Sons.)
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