おとぎ話や神話,魂を表す神々の喜劇のハッピーエンドは,人類の普遍的な悲劇と矛盾するものとしてではなく,それを超越するものとして読むべきである。客観的な世界は過去の姿のままだが,主体の中で重要視するものが変わると,形を変えたように見えてくる。以前は生と死が争っていたのに,今では永続するものが見えてくる。鍋で煮立つ水が泡の運命に無関心だったり,宇宙が銀河の星々の出現や消滅に無関心だったりするのと同じように,時の偶然性とは無関係なのである。悲劇とは形あるものを壊し,形あるものに対する私たちの固執を壊すことである。喜劇は荒々しく無頓着で無尽蔵の,自分ではどうにもならない人生の喜びである。したがって悲劇と喜劇は,両者を内包し両者によって区別される。ひとつの神話的主題と経験を表す言葉となる。つまり下降と上昇(カトドスとアノドス)であり,ともに命という啓示の全体性を形作る。そして罪(神の意志に従わないこと)と死(死すべき形態と同一化すること)の毒から清められる(カタルシス=浄化[プルガトリオ])には,人はその両方を理解して受け入れなければならない。
ジョーゼフ・キャンベル 倉田真木・斎藤静代・関根光宏(訳) (2015). 千の顔をもつ英雄[新訳版][上] pp.50-51
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