疑問をさしはさむ余地はないだろう。過去の世代の人々が神話や宗教の形で受け継いだ象徴や精神的修練に導かれて通った心理学的に危険な事態を,現代の私たちは(信仰心がないならば,または信仰心を持っていたとしても,継承された信仰では現代社会の現実的な問題が説明できないならば)1人で立ち向かわなければならず,助けがあったとしても,せいぜいあやふやで間に合わせで,たいていはあまり役に立たない手引きがあるだけだ。これは,現代的で「啓蒙された」人間としての私たちの問題で,そういう私たちのせいで,神や悪魔は合理的に説明されて存在しなくなってしまった。それでも,残されていたり,地球上の隅々から集めたりしたたくさんの神話や伝説の中に,人間的な振る舞いの何かがまだ残っていて,それが描かれているのを見つけられるかもしれない。しかしそれを聞いて役立てるためには,ともかく魂を浄化し身をゆだねなければならないだろう。そしてそれが私たちの問題の一部なのだ。どうしたらいいのだろうか。「亡くなった人々が経験したような試練を受けずに『至福の園』に入ろうと思うのか」
ジョーゼフ・キャンベル 倉田真木・斎藤静代・関根光宏(訳) (2015). 千の顔をもつ英雄[新訳版][上] pp.156
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