かたい話になるが,近代化は社会階層の平準化をおしすすめた。下層とみなされた人々を,あしざまに難じるふるまいも,社会はゆるさなくなっている。
だが,人間のなかには,自分が優位にたち,劣位の誰かを見下そうとする情熱もある。これを全面的にふうじこめるのは,むずかしい。だから,局面によっては,それが外へあふれだすことも,みとめられるようになる。比較的さしさわりがなさそうだと目された項目に関しては,歯止めがかけられない。
たとえば,身体障害については言及しづらいが,ハゲをめぐる陰口は,ゆるされる。ハゲが,障害というほどの重い状態だとは,考えられないせいである。いや,それどころではない。障害方面では出口のふさがれた暗い情熱が,ハゲ方面に鬱憤の捌け口を見いだすようになる。そのため,ハゲが,おおっぴらな揶揄の対象となってしまう。あるいは,デブやブスなども。
重い差別が,社会の表面からはけされていく。しかし,かつての差別をささえた人間の攻撃精神じたいは,なくならない。そして,それは,軽いとされる差別に突破口を見つけ,そこからあふれだす。あるいは,差別の対象ともみなせぬ小さな負の印に,というべきか。ハゲなどばかりがからかわれやすい状況は,こうしてもたらされる。
井上章一 (2015). 京都ぎらい 朝日新聞出版 pp.45-46
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