だが,私のおさないころは,それらを「大文字焼き」と言っていた。嵯峨の鳥居もふくめ「大文字焼き」であると,そうよびならわしていたものである。「大文字焼き」の日は,鳥居も山にえがかれる,などと言いながら。
「大文字焼き」の呼び名をきらうのは,そこに見世物めいたひびきを感じるせいだろう。あれは,ほんらい祖霊をおくる盂蘭盆のしめくくりとなる行事,つまり「送り火」である。娯楽用の花火めいたもよおしなんかでは,ぜったいにない。「大文字焼き」とは言うな,「五山の送り火」とよべ。それももっともだと,このごろは考えられているのである。
じっさいには,もう花火と似たような,夏をいろどる風物詩のひとつになっている。むらがる見物人のなかには,とりわけ若い人には,盂蘭盆の意味がわからぬ者も多かろう。そんな御時勢に危機感をいだくから,「送り火」であることを強調したくなってくる。「五山の送り火」という呼称のおしつけは,信仰心のおとろえを,逆説的に物語ろう。
井上章一 (2015). 京都ぎらい 朝日新聞出版 pp.157-158
PR