では,どのようなことを達成できていたら,老年に達したときに,自分が何者であったか,自分が何をしてきたかを振り返って満足を得ることができるのだろうか。これについてじっくり考えた人が,それぞれ何らかの”達成”を思い浮かべることができたとしたら,そこには3つの共通点があるだろう(とわたしは思う)。第一に,その達成は何か重要なものと関係がある。ささいなことからも喜びを得ることはできるが,そうした喜びと深い満足とは別のものである。第二に,その達成は努力,それも多くの場合,ある程度長期にわたる努力と関係がある。よく「大事なものは簡単には手に入らない」というが,まさにそのとおりである。第三に,その達成は基本的にある程度の個人的責任を伴うものである。卑近な例だが,「わたしでなかったら,こんなふうにうまくはいかなかった」といえるような場合である。
チャールズ・マレー 橘 明美(訳) (2013). 階級「断絶」社会アメリカ:新上流と新下流の出現 草思社 pp.370
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