早稲田大学は,ドイツの大学をモデルに国家の大学として「上から」創出された帝国大学とは違って,「カレッジからユニバーシティへ」と発展を遂げてきた,いわばアメリカ型の「私立」大学であり,つねに大学としての「事実」の形成に努力することを求められている。その「事実」は施設設備だけではなく,教員と学生の「実質」の問題であり,また開設される学部・学科の「綜合」性の問題でもある。早稲田大学は校名変更によって,ようやくその「事実」としての大学の出発点に立ったに過ぎない。その名にふさわしい「事実」を構築していく努力は設置者だけでなく,教員にも学生にも等しく求められている——それが,欧米諸国の大学事情に通暁していたであろう,高田の認識であった。
慶應義塾もそうだが,わが国の私立大学を代表する早稲田大学が,いかにアメリカの私立大学に親近感を持ち,それをモデル視していたかは,たとえば明治34年にすでに,シカゴ大学やコロンビア大学などと「連絡を通じ」,卒業生の大学院への受け入れ承認を得ていたことからもうかがわれる(『二十五年記念早稲田大学創業録』14ページ)。
天野郁夫 (2009). 大学の誕生(下) 中央公論新社 pp.100
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