このようにヒーリングの心理的・社会的機能を考察してみると,では,なぜ医学や科学が高度に発達した現代社会にヒーリングが流行っているか,という疑問が再度わいてくる。
それに対する1つの解答は,現代人が不可抗力である事態にたじろいだ際に,それを受けとめる度量も世界観も失っているからではないか,と筆者は考える。遺伝子治療や再生医学により,多くの難病が解決できそうになってきた。臓器移植や脳死問題の隘路も打破できそうだ。しかし,その一方でアトピーや腰痛等の慢性疾患は依然として残っている。だからこそ,治らないことへのいらだち,耐え難さをよけいにつのらせる患者が少なくない。
教育でも同じことが言える。成長期の子供は著しい学力や身体能力の発達を示すために,親は子供の可能性にかけたくなる。ところが,親の期待はしばしば過剰になり,子供には重荷となる。なるようになるさ,と我が子に対して腹をくくれる親がどれだけいるか。
恋愛や結婚にしても,映画や小説に出てくるような純愛や熱愛を望む反面,傷つくことを恐れる人が少なくない。冒険するよりは,いつそうした出会いが自分に訪れるのかと将来を占いながら,待ちの姿勢に入っている人も多いだろう。
治ってあたりまえ,出来てあたりまえ,幸せになってあたりまえ,といった欲求水準が極めて高い時代だからこそ,ヒーリングは傷ついた人達に一種のクールダウンを提供しているのだと言える。ただし,それが気晴らしであるうちはよいが,それに囚われるようになると癒しが癒しでなくなることも少なくない。
櫻井義秀 (2009). 霊と金:スピリチュアル・ビジネスの構造 新潮社 Pp.166-167
PR