自己愛には二種類ある,といった考え方が近年の精神医学や心理学では一般的となっている。いや,二つの極があってそれを結ぶスペクトルのどこかに位置する,という考え方である。ひとつの極は誇大型,もうひとつの極は過敏型と呼ばれる。
誇大型自己愛とは,尊大なオレ様主義で目立ちたがり屋,他人のことなんか目に入らないといったタイプで,いくぶん躁的なトーンを帯びている。いかにも芸能界や政界に多数棲息していそうだし,ワンマン社長なども当てはまるかもしれない。自己愛が強いゆえに,スポットライトを浴びずにはいられないというのは,なるほど分かりやすい。
ところがパラドックスめいたことに,自己愛が強い「からこそむしろ」醜態を見せたり失敗することを恐れ,結果として臆病かつ引っ込み性,内向的になることもある。それが過敏型自己愛で,彼らの(あたかも)控え目な態度は,決して謙虚とか「分を弁える」といった性質に根差しているわけではない。成功や栄光に対する人一倍の貪欲さを裏返したに過ぎない。いくぶん誇張してみるなら,友人が勝手に自分の書いた習作を文学賞へ応募してしまい,その結果見事に受賞して大型新人登場と騒がれる——そんな顛末を夢想しそうな気配がある。自分では決して腰を上げないくせに。
春日武彦 (2012). 自己愛な人たち 講談社 pp.132-133
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