ロイとクリステンフェルドは,飼い犬が飼い主に似る理由についてふたつの可能性を考えた——収束説と選択説だ。収束説は,飼い主と飼い主と飼いイヌが年を経るにつれて本当に似てくるというものだ。一見するとこの考えは馬鹿げているように見える。とはいえ,人間どうしについて言えば,夫婦の結婚生活が長くなるにつれて顔が似てくるという収束が起こることが,すでに明らかになっている。そこでロイとクリステンフェルドは,もしも収束説が正しいのなら,飼い主と飼いイヌがいっしょにすごす時間と,両者の似具合とのあいだには,なんらかの相関があるはずだと考えた。
それに対して,選択説は,そもそもペットを選ぶとき,わたしたちは知らず知らずのうちに自分に似た動物を選んでいると考える。ロイとクリステンフェルドは,もしこちらの説が正しいのなら,雑種よりも純血種のイヌを飼っている人のほうがよりイヌに似ているはずだと推論した。というのも,雑種の子イヌが成犬になったときにどんな見た目になるかを予測するのは(純血種のイヌがどんな見た目になるかを予測するより)むずかしいからだ。
ふたつの説を検証するために,ロイとクリステンフェルドはいくつものドッグパークをうろついて,飼い主とそのイヌの写真を撮ってまわった。ふたりは次に,撮ってきた飼い主の写真,飼いイヌの写真,それに別の無関係なイヌの写真をそれぞれひとまとめにして学生たちに見せ,飼い主とその飼いイヌの写真を正しく組み合わせるよう求めた。もし偶然だけが作用しているなら,学生たちが飼い主の写真と飼いイヌの写真を正しく組み合わせることができる確率は50%になるはずだ。でも,もしも飼いイヌが飼い主に似る傾向があるなら,学生たちはもっと高い確率で正しい組み合わせを選ぶことができるに違いない。ふたりは,収束説よりも選択説のほうが,飼い主とイヌの見た目が似る理由をうまく説明できると考えていた。したがって,飼い主と飼いイヌの見た目が似るのは(成犬になっても見かけがあまり変化しない)純血種のときだけにかぎられ,いっしょに住んでいる時間の長さと,どのくらい似ているかにはなんの関係もないと予想された。
ロイとクリステンフェルドの予想はあらゆる点で正しかった。学生たちは,飼い主の写真とその純血種の飼いイヌの写真を,3分の2の確率で正しく組み合わせることができた。これはただやみくもに組み合わせを選んだ場合に予想される結果に比べて,かなり高い正解率だった。また,選択説から予想された通り,学生たちは(飼いはじめは似ていても,成犬になると見かけがガラリと変わる)雑種については,その飼い主と正しく組み合わせるのにはあまり成功しなかった。結局,選択説が予想していたような,飼い主は長くいっしょに住めば住むほど飼いイヌに似てくるなんて証拠はどこにも見当たらなかった。
ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.33-35
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